作品

ディアグラム(改)
第一話「勇者」
(42頁)
「なっ!?こんな短時間で、狼がここまで?」
 まだ余裕があると高をくくっていただけに予期せぬ速さで到達した狼に、老人も動揺の色が走った。その時には、何事があったのかと誘導の手を止めた男たちや手伝いをしていた商人たち数人が、老人の近くに集まってきていた。アール自身もその場で立ち止まっていても声は聞こえていたが、数歩無意識に足を踏み出していた。
 何とか過半数が門をくぐり終えた村人の背を眉を寄せた難しい顔で村長は振り返り、もう一度息を乱す男に向き直る。
「『マニディール』の人たちの安否は?」
「わかりません。いざとなったら逃げ出したのかもしれませんが、狼の数が少ない所を見ると、行き違いになった可能性も否定できません」
 男も混乱と間近で狼を目撃した衝撃から泣き出しそうな声で、しかししっかりと質問に応えている。どうしますか?と窺うような視線を受けながら、村長は難しげに眉間にしわを寄せていた。が、数秒の熟考のあと大きく深呼吸するように息を吐き出した。周囲に集まっていた数名の男たちも不安げに固唾を飲んで言葉を待っていた。
「……仕方ない。村人の男で何とか足止めをして、女子どもや病人が安全に逃げられる時間を少しでも稼ごう」
 男たちの間に動揺が広がった。しかし、戸惑いや沈痛を浮かべた顔を見合わせたりするだけで、険しい顔をして決断した村長の言葉を正面から否定して、一人だけ逃げようとする人間はそこにはいなかった。その場にいる男たちの誰もが、逃げている村人の中に親や子、妻に恋人と大切な人間がいるのだろう。狼に立ち向かうという恐怖や不安に逃げ出したい気持ちがあっても、逃げ出すわけにはいかず、村長の言葉に静かに頷き合っていた。
 確かな覚悟を決めた男たちから、不意に村長は視線を外し、アールと同様に手伝いをしていた商人たちを見た。
「お手伝いありがとうございます。ここまでで十分助かりました。アナタ達も早くお逃げなさい。夜道になるが、隣村までは獣道ですが一本道ですし、子どもの足でも一時間もないほどです。大人なら半分もかからないでしょう。そこには『マニディール』の小さな支部もあります。助けてもらえるでしょう」

(42頁)
 ≪前 40  41  42  43  44 次≫ 
著:Kookcat 先生

≪作品TOPへ

▲ページの先頭へ戻る